オオワダノリコ2011個展


オオワダノリコ展

大和田タダコ + オオワダノリコ



2011年11月7日(月)−11月12日(土)
藍画廊




今回の個展についてのコメント





この度のメイン作品はこのようなものです。
これは1959年、つまり私が生まれた年。
この年は「母が生まれてから何日目か」という日数か記されている、という本です。
この年、母は34歳でした。

この年の1月1日は彼女にとって生まれてから12094日目。
そして大晦日は12458日目でした。
つまり私の最初の大晦日は、母にとって母が生まれてから12458日目ということになるのです。

そんな仕事を今年はしました。
画廊の壁には40冊(40歳まで)が展示され、テーブルにはもう12冊(52歳まで)と製本していないものが2年とちょっと。





これは超コンセプチュアルな現代美術の仕事です。


美術にはいろいろな表現があります。
私はこのような表現を好みます。
コンセプチュアルアートは、先に提示されたテキストを読むと分かり易くなるものではありますが、
この作品に関しては
読まずしても、深く感じとり涙を流してくださる方が多くいた、という異例な展覧会となりました。



この作品は母が生きた86冊で終了する仕事です。
母のこの世での人生は終わっていますが、
86冊を終わらせてしまう勇気が私には無かった、というのが甘さであるのかもしれません。


美術というのは、
時間とか、空気とか、匂い、そういった感覚をビジュアル化する(目に見える形で表現する)というのが仕事であるのです。
皆様が私と接することによって、
現代美術という実に理性的で、美しい表現が美術の世界にあるのだということを知って下さい。
そして、今後は私が画廊にいなくとも作品を見て感じ取って下さい。


私は油彩で大学を出ています。
高校時代は美大予備校での教育を、浪人生らと共に受けたことのある「技巧派」でもあります。
かなり品のある油絵を描くことのできるオオワダノリコです。
私は根っからの職人気質でありますから。


しかし、だからどうなの?ということを思い始めたら止まりません。
美術は、どう深く、重く、問題を相手の心に伝えることが出来るのか、ではないでしょうか?
絵画表現にそれを求めても良いし、彫刻に求めても良い。
そしてこのような、コンセプチュアルな仕事でも良い。

このような仕事は一見分かりにくく、とっつきにくく感ずるのかもしれませんが、
いたってシンプルで、何よりも美しく雄弁に語っているではないですか。




背表紙には数字、つまり母の年齢が刻まれています。
生まれた年、1925年は11月22日生まれなので「0歳」とし薄い一冊となりました。
ですので86冊目となる2011年、母は3月12日没ですので、今年も薄い一冊となるのです。





(Gデザイナーあゆさん撮影)

誰もが「1日目」からスタートしていて、そして終りの番号も必ずやってくるのだという事。
そこには母が本当に嬉しかったことや、本当に悲しかったこと、悔しかったこともあるのだけれど、
その事実は私にはわからないし、もしかしたら母にとっても、それが真実なのかどうかすら分からないのかもしれない。

淡々と、「その日が生まれてから何日目であるのか」ということだけが事実であって、
それ以外の事実なんて、もしかしたらみんな作られたものなのかもしtれない。
そういうことを考え、喚起させる作品となった。

31157日
3万1千157日
母が生まれてから亡くなるまでの日数です。




何のブレもなく、淡々とした製本された本は実に美しい。
40歳の365日、45歳の365日、43歳の366日。。。





本の中身は、こうなっています。
1974年06月15日は土曜日で、それは母にとって17738日目であったのだという事実。
それが1枚、1枚書かれていて、一冊は365枚(366枚)あります。
ただただ、それだけです。




母の作品は1976年制作のもの。
これがいわきで焼け残った2枚のうちの1枚の作品。

50代のこの母の作品は、誰が見ても素晴らしい仕事となっています。


この作品は1階の客間にあったのだけど、あの日、2階にいた母の叫び声を聞いたであろう。
爆音を聞いたであろう、焼け焦げるものの音や匂いを感じていただろう。
それだけでも大いに意味のある作品だと思います。



個展をするということは、毎回毎回問題を提起しなければならないと私は思っています。
それは何も、難しい社会問題などではなく、誰の回りもでもある思いもよらない視点を提示することだと思っています。
「これでいかが、素敵でしょう?」というのは趣味の世界であって、
それが良いとか悪いとか、ではなく
私は毎回、同じような作品は創れないし、作る興味もないのです。
誰に媚びることも、自分におごることもなく、淡々と手が動く仕事をするだけなのです。

それにしても、今年はとんでもない年となってしまった。
それは信じられないほどの悲劇なんだけど、そう思うのではなく
母が私にこんな素晴らしい仕事をさせてくれたとのだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになります。



「これは世界で巡回すべき重要な展覧会だ」と言って下さった方々と、今その方向で話を進めています。
誰にでもある普遍的なテーマ、生と死。
そんなこと、今まで考えたこともなかったよなあ、と思う。
感謝







個展が終了すると、作品を撤去する。
今まで自分の世界だった画廊が、真っ白の壁となる。
搬出は本当にいつもいつも寂しい。
そんな最終日、撤去後の壁の前で。。画廊オーナー倉品さんと私のスタッフたちと。。


みんな、本当にありがとう。
そして倉品さん(藍画廊)ありがとうございました。





2011年12月1日

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